「如是我聞(Thus I have heard)」
仏教のお経はすべて、「如是我聞/私はこのように教えを聞きました(Thus I have heard)」から始まります。
お釈迦様(Buddha)が書き残した言葉はなく、すべて彼の教えを聞いた人たちが書いた言葉(words)です。
ですから、
仏教とは、聞き手の「心」に響いた言葉のみが、現代まで伝えられてきているのです。
ということは、単なる知的な知識であることよりも大切なことは、「仏教の言葉が私たちの心に響くこと」だと私は感じています。
Well(さて)、人生最期の時を迎えて「言葉のプレゼント」を私たちに遺していってくれた、ある女性がいます。
22歳の時、私の心に響いた「念仏(the Nembutsu)についての詩集」を書いた女性を紹介しましょう。
その人の名前は、Ayako Suzuki(鈴木章子)さんです。(1941-1988)
彼女は、日本の北海道にある浄土真宗のお寺の坊守(Boumori)でした。(坊守(Boumori)とは、住職(chief priest)の妻。)
そして、彼女自身も又僧侶(priest)であり、4人の子供のお母さんでもあり、幼稚園の園長先生でもありました。
私が大学生だった頃に初めて読んだ、彼女の詩集のサブタイトルが、この「如是我聞/このように聞きました(Thus I have heard)」でした。
43歳で乳がんになった鈴木章子(Ayako Suzuki)さんは、癌が悪化していく中で詩を書き続けました。
彼女は、4人の子供たちと、有縁の人たち(the people she cared about)に「言葉のプレゼント」を遺していこうと考えたのです。
彼女の詩の内容は、念仏(the Nembutsu)を生きるとは何かについて、「私はこのように聞きました(Thus I have heard)」というものでした。
彼女の遺した詩(言葉たち)
=彼女の命のエネルギーそのもの
だからこそ、今も、それらは私の心に響き続けているのだと思います。
初めて読んで以来、彼女の力強い念仏の詩は、私が苦しかった時や穏やかだった時など、人生の様々な場面で、私の心(heart)に、エネルギーチャージをし続けてくれました。
特に、体調も悪く全く本が読めなかった時でも、彼女の詩だけは私の心(heart)に響いたのです。
「詩」という表現形式の偉大さを、私は本当に苦しい時に知りました。
ということで、私の大好きな詩を、折に触れて紹介していきたいと思います。
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今(Now) Now as I sit here talking and laughing ( 私が) with my husband and children, ( 主人が 子供達が) I realize that we have done so ( この茶の間で しゃべり 笑っている) for maybe thousands of times. ( 何千回とくり返された情景が) But when I reflect that there might not be tomorrow, ( 今 不思議で あしたにでも 壊れてしまいそうで) I feel like embracing them all. ( だきしめたくなります)
Happiness.(幸せ) If one gets too greedy about happiness( しあわせって 欲ばりすぎると), it slips away.( にげてしまうのですね) I thought that if I chased after it( 追いかけて 自分でつかむものと), it could be mine.( 思っていましたのに) I realize now that happiness is something we receive.( しあわせって いただくものでしたのね) Little by little, I receive it, and share it.( 少しずついただいて 少しずつわけあうことが) That's what is important.( たいせつなことだったのですね) English translation by Rev. M. Harada
人間にとって、自然は体にエネルギーチャージをし、言葉は心(heart)にエネルギーチャージをしてくれると私は思います。