浄土真宗の始まり ②
このブログはGoogle翻訳を使っているので、世界中の言語で読むことが出来ます。非常に便利な時代です。
AI(人工知能)と上手にチームワークが組めれば、私たちができることの可能性は、大きく広がります。
では、なぜ私は、Google翻訳を使いこなすことに苦労しながらも、このブログを書いているのか?
その理由は、
私たちにとって、それぞれの母国語が私たちの「心(heart)」に直接届くからです。
科学技術の進歩により、人間の生活は大きく変わりました。
しかし、変わらない部分もあります。
その一つは、人間の「マインドと心(heart)」です。
中世の日本に、自分自身と人間の「マインドと心(heart)」に向き合い続けた一人のお坊さんがいました。
その人の名前は、親鸞(Shinran Shonin:1173-1263)です。
彼は、数多くの著作を残した人でした。
その内容は、750年以上を経た今にも通じるものです。
彼が、日本最大の仏教の宗派、浄土真宗の開祖なんですね。
お釈迦様(Buddha)の言葉も、2500年以上経っても、現代の私たちにも響きますね。
人間のマインドと心(heart)は、時代や国の違いを超えても変わらない普遍性があります。
その親鸞(Shinran Shonin)は、お釈迦様の悟りを生きることができる道を20年以上探究しました。
そして、彼は遂に一人の師に出会うことが出来ました。
彼にとっての唯一無二の先生が、法然(Honen Shonin:1133-1212)でした。
法然(Hounen Shonin)は、当時手に入るあらゆる仏教の経典を、繰り返し熟読した人でした。
そして彼は、仏教のお坊さんにとってだけではなく、すべての人間がお釈迦様(Buddha)の悟りを生きることが可能な「道」を探し当てました。
法然(Honen Shonin)にとって、お釈迦様(Buddha)の悟りを生きる道とは何か?
それは、念仏(the Nembutsu)をとなえる(recite)ことでした。
念仏(the Nembutsu)= Namo-Amida-Butsu(南無阿弥陀仏)です。
✨ 南無(Namo)=おまかせします(I take refuge).
✨ 「Amida (阿弥陀)」に関しては、私は後ほど詳しく説明します。
✨ Butsu =仏(Buddha).
彼は、まるで呼吸の様に、念仏(the Nembutsu)をとなえ(recite)続けた人でした。
その数、1日に約7万回だったとも言われています。
法然(Hounen Shonin)はこう言いました。
「念仏(the Nembutsu)は、阿弥陀仏の願(Vow)に順じている(follow)」。
これは具体的にはどういうことでしょうか?
さあ、いよいよ本題ですね。
(③へ続く)