亡き父からのプレゼント
「人生の最期に手にしていたい、あなたにとっての究極の豊かさ(affluence)とは何か?」という前回のブログの質問に対して、「家族」と答えた人もいたかもしれません。
結局、人が最後の拠り所とする場所や人間関係は、「家族」の場合も多いでしょう。
私にとって「家族・家庭」こそが仏教を実践する場所なのだと教えてくれた人は、去年の12月に亡くなった(passed away)父でした。
今日は、私が亡き父から学んだ仏教・浄土真宗についてお話ししようと思います。
彼は、日本にある、浄土真宗のお寺の住職でした。
さて(Well)、「家族」というのは人間社会の基本ですが、私たちが激しい感情を出しやすい場所でもあります。
怒りのエゴマインドが活性化すれば、すぐに喧嘩が起きてしまいます。
私も短気なので、時に家族と喧嘩します。
つまり、喧嘩をした時=あなたの怒りのエゴマインドに気づいた時こそ、念仏をとなえる(recite the Nembutsu)時なのです。
念仏(the Nembutsu)の中で、あなたは視点を垂直方向に高く高くすることで、阿弥陀仏(Amida Buddha)の視点から、今の状況を眺めることができるようになります。 ⬇️⬇️⬇️
それは、エゴマインドによる判断から離れて、現実を中立に見る視点です。
喧嘩は一人だけではできません。
相手もあなたも、両者のエゴマインドが活性化しているからこそ、喧嘩しているのです。
つまり、あなたの正義と相手の正義の間の戦いが喧嘩であり、お互いに「私の正義のみが正しい!!」と主張しあっています。
ともにエゴマインドに駆られていたと私たちが気がついた時、そのような私たちの為に、阿弥陀仏(Amida Buddha)は念仏(the Nembutsu)になってくれていたことに気づくことができるのです。
あなたが自らのエゴマインドに気づいた時、それはあなたを見る阿弥陀仏(Amida Buddha)の視点に気づいた時でもあり、あなたは内なる意識の中に広がる阿弥陀仏(Amida Buddha)の光のエネルギーフィールドに戻っていくことができます。
あなたのエゴマインドによってできた、あなたの心(heart)の中の氷が、徐々に水(=光のエネルギー)に変容していきます。
念仏(the Nembutsu)の中で、あなたは「対立する二元の世界」を超えることができるのです。
そして、あなたは内なる意識において「一如のエネルギー世界(energy world of oneness)」を生きることができるのです。
念仏(the Nembutsu)を実践する場所は、もちろん家庭だけではなく、あらゆる場所です。
なぜなら、人間が生きている限り、エゴマインドは無くならないからです。
この念仏(the Nembutsu)によって繋がることができる家族の関係性を、今、亡き父が私たちにプレゼントしてくれていると感じています。