悪(エゴマインド)からの意識の変容 ④
エゴマインドの前提は「欠乏感」です。
どうやって、内なるエゴマインドとうまく付き合っていくのか?
私自身、気性が激しいので、とても興味がありました。
以下、私の体験をもとに解釈した内容です。
まず、念仏(the Nembutsu)をとなえ(recite)ながら、あなたは問題として現象化した現実から徐々に意識をあなたの内側に戻します。
現実から少し距離を置いて、その現実を眺めます。
そして、「すべてはここに有る」という意識状態の「今」に安住します。
瞑想や座禅(Zazen)や念仏は、「呼吸」に意識を向けることで、意識の方向性を外向きから内向きに向け変え、常にあなたの意識をこの「今」の状態に戻してくれます。
「エゴマインド=悪」と「今に生きる意識=徳(virtue)」との大きな違いは、その前提が「欠乏感」か「すべてがここにある」かの違いです。
「悪(Evil)」
エゴマインドは、外向きの水平方向に意識を向けています。
エゴマインドにより、あなたは「現実=問題」だと判断します。
その時、あなたは、自分の心(heart)の中に氷を作っている状態です。
私もしょっちゅう心の中に「氷=問題」を作ってしまいます。
日々の生活の中で、なかなか仏教の教え通りにはなりません。
つまり、私も含め私たちは、現実を変えたら幸せになれるという「幻想」の中にいるのです。
→永遠に「未来に幸せになるための行動」をし続ける。
=自然の流れに逆行している
=自力(self-power)=意識が今の中に存在しない。
=あなたの心には、安らぎがない。
=苦しみの輪廻の中にいる
私もずっと気づかずに、この状態にいましたし、油断すると、すぐこの状態に戻ってしまいます!
自然界においては、常にエネルギーが流れ続けています。
この流れ(flow)を堰き止めているのが、人間のエゴマインドであり、「こうあるべきだ」という執着(attachment)です。
それに対して、
「徳(Virtue)」
今に生きる意識は、内向きに垂直方向に意識を向けるのです。
それは、まるで頭(mind)の中を覆っているエゴマインドの雲を突き抜けて、その上で輝いている太陽の光に出会うようなものです。
「この悪から徳(Virtue)への意識の変容」を、親鸞(Shinran Shonin)は伝えているのだと私は思います。
残念ながら、人間が生きている限り、エゴマインドが消え去ることはありません。
エゴマインドに気づく時とは、あなたがマインドの中に抱いている「氷」に気づくことができる瞬間です。
しかも、心の中の「氷=問題」によって一番苦しんでいるのは、あなた自身なんです!
そして、その「氷」を溶かすきっかけを作ることができるのも、唯一あなた自身です!
念仏(the Nembutsu)を生きる人は、「悪(Evil)⇄徳(Virtue)」を行き来しながら、念仏(the Nembutsu)とともに内なるエゴマインドとうまく付き合っているのです。
そこで、
生涯エゴマインドから(from)逃れられない人間の為に、阿弥陀仏(Amida Buddha)は念仏(the Nembutsu)の姿になったのです。
そのことについては次回のブログでお話しします。
(⑤に続く)