物質化⇄エネルギー化—仏教のエッセンス ③
私にとって仏教を学んで最も良かったことは、「私自身の意識の状態」が、私にとっての問題を生み出している「原因」であると気づけたこと。
だからこそ、その問題を解決できる「意識の力」が自分に内在していると気づけたことです。
自分に力が戻ってきました。
その力は、エゴマインドに追い立てられている力(=自力)とは、違う力です。
難しい言葉の羅列で語られている仏教は、結局は次のことを伝えているのだと思います。
「物質化⇄エネルギー化」の循環する仕組み。
例えば、現実をエゴマインドの色眼鏡を通して見て「問題」だと判断したとします。
すると、その現実=問題だとあなたは思い続けることになるのです。
それは、中立な現実を「問題」であると固定化(=氷の状態)したことになります。
その結果として、人は現実=「問題」を体験し続けることになります。
意識(=内なるフィルム)が、その人にとっての現実(=外なる映像)を作っているからです。
反対に、「中立なる現実」をそのまま受け取っている時、その人はエゴマインドによる善いか悪いかの判断から離れています。
それは意識が今の中にあるという、本来のエネルギー状態(=流れ続ける水のような状態)に戻っています。
このことを端的に表現しているのが、『般若心経』の中の有名な一節(phrase)だと思います。
色即是空(Form is emptiness)
形あるものが、形のない状態になる
= 物質→エネルギー化
空即是色(Emptiness is form)
形のないものが、形がある状態になる
= エネルギー→物質化
漢字(Chinese character)の「空(Kuu)」は「emptiness(空っぽ)」と英語に翻訳されますが、私は「energy(エネルギー)」のことだと解釈しています。
そうすると、仏教が伝えている全体像を体感しやすいと思うのです。
この「物質化⇄エネルギー化」について、浄土真宗の開祖・親鸞(Shinran Shonin)は、「氷と水」の例えを用いて、次の和讃(Wasan=Hymn)を作ったのだと思います。
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Obstructions of karmic evil turn into virtues (罪障功徳の体となる); It is like the relation of ice and water (こほりとみづのごとくにて): The more the ice, the more the water (こほりおほきにみづおほし); The more the obstructions, the more the virtues (さはりおほきに徳おほし). Hymns of the Pure Land Masters(高僧和讃・曇鸞讃) 371p, The Collected Works of Shinran
浄土真宗でいう「悪人(evil person)」とは、エゴマインドに支配されている人間の状態を指し示した言葉だと思います。
私たちは、中立なる現実を「問題」と見ることで、心の中に氷を作り、苦しみを生み出しているのです。
ということは、無自覚にエゴマインドに支配され、自分で苦しみを作り出しているすべての人間=悪人(evil person)なのです。
この和讃(Wasan=Hymn)では、次のことを表現していると思います。
「氷」=「悪」=エゴマインドによって「問題」を生み出す人間の意識状態
「水」=「徳(virtues)」=中立なる現実をそのままに見ている人間の意識状態=意識は常に今の中にある。
「悪」→「徳(Virtue)」
寝ても覚めても、あなたがとなえる(reciting)念仏の中では、この悪から徳への意識状態の変容が、24時間休みなく起こっているのです。
これはどういうことでしょうか?
次回に続きます。
(④に続く)