宇宙のソースエネルギーと阿弥陀仏(Amida Buddha) ③
仏教で一番大切な言葉は何でしょう?
私にとっては、「仏(Buddha)」という言葉です。
浄土真宗では、阿弥陀仏/Amida-Butsuと表現されます。
阿弥陀仏(Amida Buddha)は、日本語でAmida Butsuと言います。
では、これは何を意味しているのか?
私はこの様に解釈しています。
阿弥陀仏(Amida Buddha / Amida-Butsu)とは、すべての生命体の命そのものである宇宙のソースエネルギー。
その命のエネルギーは静止しておらず、常にこの宇宙において循環しています。
今において、この循環する宇宙エネルギーの流れに、気持ちよく同調している状態。
それが、お釈迦様(Buddha)の悟りを生きること。
それが、今を生きること。
それが、本当のあなた自身を生きること。
それでは、なぜ念仏(the Nembutsu)が「道(way)」なのか?
以下は、私の解釈です。
例えば、坐禅(zazen)や瞑想をすると、頭の中に様々な思考(妄想)が次々と浮かんで来ます。
静かに自分自身と向き合うと、マインドの中では、絶えずおしゃべりが続いていることに気がつくのです。
そして、そのおしゃべりの多くが心を乱し、エネルギーを浪費させます。
そんな時、私は「呼吸」に意識を向け、決まった音を繰り返します。
私はこのことについて既に過去のブログ記事に書きました。
今回は、「念仏(the Nembutsu)」をその「決まった音」に当てはめて、もう一度書いてみます。
ゆっくり息を吸って、ゆっくりと息を吐きます。
そして、呼吸だけにあなたの意識を向けます。
もし、あなたのマインドの中に、様々な妄念が湧いてきたら、「念仏(the Nembutsu)」を繰り返します。
例えば、
Namo(=I take refuge)-Amida-Butsu 、
Namo-Amida-Butsu (南無阿弥陀仏) 、
Namo-Amida-Butsu ・・・・・続く。
すると、念仏(the Nembutsu)の音に意識が向かい、徐々にあなたの心の中は静まります。
しばらくすると、私の場合は、内なる意識が静寂の空間になります。
エゴマインドが静まった静寂の中、ただ念仏(the Nembutsu)の音だけが響いているのです。
そんな意識状態に、
ただ
浸ります。
坐禅・瞑想をする場合、静かな家の中で、特別な時間を持つ必要があります。
しかし、
誰でも
いつでも
どこでも
念仏(the Nembutsu)をとなえる(recite)ことが出来るのです。
つまり、
念仏(the Nembutsu)をとなえる(recite)ことによって、
いつでも
どこでも
内なる意識の中に、静かな瞑想状態が作れるということです。
私たちの目は、常に外側を見ています。
ですから、私たちは頭(mind)の中で、常に他人や状況を自分の基準によって裁き、自分を常に「正義」の立場に置いています。
これが、私たちのエゴマインドの働きです。
そして、私たち自身に対しても、良いか、それとも悪いかと常に裁き、過去を後悔し、未来を不安に思います。
それゆえに、エゴマインドは「今」を感じる心(heart)の中には、決して住むことはできないのです。
つまり、そのエゴの住める場所は、唯一、非常に騒がしい頭(mind)の中だけです。
加えて、エゴが活性化している時、あなたの意識は呼吸から外れています。
私にとっては、
念仏(the Nembutsu)も坐禅も瞑想も、
どれも「呼吸」に意識を向けることによって、意識を「今」に戻す方法です。
呼吸に意識を向けることで、あなたは「今」の中に居続けることができるのです!
あなたの意識が「今」の中にいれば、なんの問題もストレスも存在しないのです。
又、口で念仏(the Nembutsu)をとなえる(recite)ことで、あなたの意識はその「音」に向かいます。
それゆえ、耳(ears)で聞く念仏(the Nembutsu)は、うるさいあなたのエゴマインドから「呼吸」と「音」に意識を向け変えてくれるのです。
つまり、意識が外向きから内向きに反転します。
念仏(the Nembutsu)によって、いつでも、どこでも、誰でも「今=内側」に意識を戻すことができるのです。
(④へ続く)