May 6, 2020

阿弥陀仏(Amida Buddha)と宇宙のソースエネルギー ③

仏教で一番大切な言葉は何でしょう?

私にとっては、「仏(Buddha)」という言葉です。


浄土真宗では、阿弥陀仏/Amida-Butsuと表現されます。

阿弥陀仏(Amida Buddha)は、日本語でAmida Butsuと言います。

では、これは何を意味しているのか?

私はこの様に解釈しています。

阿弥陀仏(Amida Buddha / Amida-Butsu)とは、すべての生命体の命そのものである宇宙のソースエネルギー。

その命のエネルギーは静止しておらず、常にこの宇宙において循環しています。

今において、この循環する宇宙エネルギーの流れに、気持ちよく同調している状態。

それが、お釈迦様(Buddha)の悟りを生きること。
それが、今を生きること。
それが、本当のあなた自身を生きること。

それでは、なぜ念仏(the Nembutsu)が「道(way)」なのか?

以下は、私の解釈です。

例えば、坐禅(zazen)や瞑想をすると、頭の中に様々な思考(妄想)が次々と浮かんで来ます。

静かに自分自身と向き合うと、マインドの中では、絶えずおしゃべりが続いていることに気がつくのです。

そして、そのおしゃべりの多くが心を乱し、エネルギーを浪費させます。

そんな時、私は「呼吸」に意識を向け、決まった音を繰り返します。

私はこのことについて既に過去のブログ記事に書きました。

今回は、「念仏(the Nembutsu)」をその「決まった音」に当てはめて、もう一度書いてみます。

ゆっくり息を吸って、ゆっくりと息を吐きます。

そして、呼吸だけにあなたの意識を向けます。


もし、あなたのマインドの中に、様々な妄念が湧いてきたら、「念仏(the Nembutsu)」を繰り返します。

例えば、
Namo(=I take refuge)-Amida-Butsu 、
Namo-Amida-Butsu (南無阿弥陀仏) 、
Namo-Amida-Butsu ・・・・・続く。

すると、念仏(the Nembutsu)の音に意識が向かい、徐々にあなたの心の中は静まります。

しばらくすると、私の場合は、内なる意識が静寂の空間になります。


エゴマインドが静まった静寂の中、ただ念仏(the Nembutsu)の音だけが響いているのです。


そんな意識状態に、
ただ
浸ります。

坐禅・瞑想をする場合、静かな家の中で、特別な時間を持つ必要があります。

しかし、
誰でも
いつでも
どこでも
念仏(the Nembutsu)をとなえる(recite)ことが出来るのです。

つまり、
念仏(the Nembutsu)をとなえる(recite)ことによって、
いつでも
どこでも
内なる意識の中に、静かな瞑想状態が作れるということです。

私たちの目は、常に外側を見ています。


ですから、私たちは頭(mind)の中で、常に他人や状況を自分の基準によって裁き、自分を常に「正義」の立場に置いています。

これが、私たちのエゴマインドの働きです。


そして、私たち自身に対しても、良いか、それとも悪いかと常に裁き、過去を後悔し、未来を不安に思います。

それゆえに、エゴマインドは「今」を感じる心(heart)の中には、決して住むことはできないのです。

つまり、そのエゴの住める場所は、唯一、非常に騒がしい頭(mind)の中だけです。



加えて、エゴが活性化している時、あなたの意識は呼吸から外れています。

私にとっては、

念仏(the Nembutsu)も坐禅も瞑想も、

どれも「呼吸」に意識を向けることによって、意識を「今」に戻す方法です。

呼吸に意識を向けることで、あなたは「今」の中に居続けることができるのです!

あなたの意識が「今」の中にいれば、なんの問題もストレスも存在しないのです。

又、口で念仏(the Nembutsu)をとなえる(recite)ことで、あなたの意識はその「音」に向かいます。

それゆえ、耳(ears)で聞く念仏(the Nembutsu)は、うるさいあなたのエゴマインドから「呼吸」と「音」に意識を向け変えてくれるのです。

つまり、意識が外向きから内向きに反転します。

念仏(the Nembutsu)によって、いつでも、どこでも、誰でも「今=内側」に意識を戻すことができるのです。

④へ続く

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