お釈迦様(Buddha)の意図 ①
そのDongho Sunimとの坐禅体験を通して、私はこれまで勉強した言葉の意味(meanings)を想像できる様になりました。
一番最初に私が思い浮かべた言葉は、西田幾多郎博士の言葉でした。
彼は、私も学んだ京都大学で、宗教哲学(philosophy of religion)を教えた人でした。
「主客未分(undivided subject/object)の純粋経験」
皆さんが、この言葉を聞くと、おそらく
「??何言っているの??」 😩 😩 😩
ですよね!!
私もそうでした!
「??何言っているの??」 😩 😩 😩
その時まで、私もこの言葉の意味が分かりませんでした!
このように、仏教は、意味が分かりにくい言葉で表現されています。
だから、私たちの多くが「仏教は難しい!」と感じるのでしょうね。
なぜ、仏教の言葉は難しいのか?
今、私はこのように解釈しています。
お釈迦様(Buddha)は言葉では言い表すことができない「悟りの体験」を、あえて言葉で表現した。
そして、お釈迦様(Buddha)の悟りを受け継ごうとした人々も、同様であった。
つまり、彼らも彼らの体験の内容をあえて言葉で表現し続けたんだ!
彼らは、あくなき挑戦者であり、誰もやったことがないことに挑んだ先駆者だったのです。
西田幾多郎さんと鈴木大拙(D.T.Suzuki)さんも同じだったと思います。
ちなみに、彼らは、その独創的な思索に影響を与え合う一番の親友でした。
生涯にわたって、彼らは交流を深め合いました。
私は、実際には彼らにお会いしたことはありません。
しかし、このお二人から私はとても影響を受けました。
では、「主客未分(undivided subject/object)の純粋経験」。
これはどういう意味か?
今、私はこのように解釈をしています。
今存在している。
内側にある意識の状態。
それは、言葉が産まれ出でる前の状態。
その状態を、人間の理解の枠(subject/object)の中に入れ込めようとしないこと。
ただ内なる意識の広がりを、心で感じること。
それが、意識的に今を生きるということ。
では、どのようにして私たちは今を生きることができるのか?
その「今に生きる」実践方法の違いによって、仏教の宗派(sect)が様々に分かれるのだと思います。
私が学んだのは、禅と浄土教(Pure Land Buddhism)。
では次回は、浄土真宗のお話をしたいと思います。
(それは、浄土教・Pure Land Buddhismの一つの在り方です。)
(②へ続く)