私の仏教人生の始まり!①
毎日、COVID-19のことが気になりますね。
私もついスマホに手が伸びて最新のニュースをチェックします。
そうすると、頭の中も、心の中も暗〜いニュースで一杯に。😩 😩
なんだか、イライラする。
そんな時、私はマインドをクリアにするために瞑想します。
🍀 まず足を組んで座り、目を閉じて、リラックスします。
🍀 ゆっくり息を吐いて、ゆっくりと息を吸います。
🍀 そして、あなたの呼吸だけに意識を向けるのです。
🍀 もしマインドの中に、様々な考えが湧いてきたら、「決まった音」を繰り返します。
例えば、ボン(間:pause)、ボン(間:pause)、ボン。
🍀 すると、その「音」を意識し続けることで、あなたのマインドの中は徐々に静まります。
しばらくすると、ただ呼吸をしている状態になります。
そんな意識状態に、
ただ
浸るのです。
瞑想を始めた最初の頃、私は瞑想している時間が、まるでとても長く続いているかのように感じられました。
でも、徐々に慣れてきて、気持ち良くなってきました。
瞑想が終わって目を開けると、とても穏やかな気分。
世界が静まったように感じます。
瞑想する前と後では、世界は何も変わっていない。
けれど、私の意識の状態が変わると、私の感覚が変わる。
私が変わると、
私にとっての世界が変わっている! 👀
これは、大きな発見でした!
私が「マインドをクリアにする」瞑想や坐禅に出会ったのは、大学院生の頃でした。
私は日本の仏教/浄土真宗のお寺に生まれ育ったので、仏教とは学ばなければならないものでした。
しかし、私には長らく解決できない疑問がありました。
「こんなにも難しい言葉で語られる仏教が、本当に私たちに生きる喜びを与えることができるの?」
「なぜ宗教の違いで、世界中で争いが起こるの? それって、おかしくない?」
「なぜ、オウム真理教のようなおかしなカルト集団が犯罪を犯すの?」
私は若い頃、仏教に関して多くの有名な先生達の講義(lectures)や法話(dharma talks)を聞きました。
しかし、残念ながら彼らの言葉の多くは私の心には響きませんでした。
先生方は本を読んで勉強した内容を語っていた様に思えました。
しかし、彼らの言葉には生命力溢れるエネルギーがないと、私は直感的に感じたのです。
私は自分で考えて、体験を通して、自分にとっての答えを、自分自身で見つけたかった。
「他人が出した模範解答を、納得しないまま鵜呑みすることはしたくない!」
そんなふうに思っていました。
大学生の頃、私が好きだったデンマークの哲学者
ゼーレン・キェルケゴール(Soren Kierkegaard: 1813-1855)。
以下の言葉が、彼が22才の時に書いたものです。
「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生き、そして死ぬことを願うようなIdee(理念)を見出すことが必要だ」。
当時、私も22歳でした。
彼の考えに共感したのです。
そこで、京都大学の大学院で宗教哲学(philosophy of religion)を学ぶことにしたんです。
学んだのは、キリスト教と、浄土教(Pure Land Buddhism)や禅といった仏教。
その学びの一環として、毎週日曜日、近くの相国寺(Shokoku-ji)というお寺で坐禅をする会(自主参加)がありました。
最初は、組んだ足が、とても痛かったです。
「早く終了時間が来ますように!」
座禅中、私はこの思いで一杯でした!
でも徐々に、坐禅にも慣れることができました。
時々、何にも考えが浮かばない瞬間があったんです。
ただ呼吸していた。
そんな状態になっていました。
そんな坐禅(瞑想)体験が、より深くなったのは、大学院を終えた後、留学したアメリカでのことでした。
(②へ続く)